札幌家庭裁判所浦河支部 昭和46年(家)6号 審判
〔主文〕本件申立を却下する。
〔理由〕1 申立の趣旨および実情は別紙のとおりであるが、<証拠略>を総合すれば、次の事実を認めることができる。
(一) 事件本人は、父板屋幸之助、母てるの長女として大正一二年九月二八日本籍地において出生した。
(二) 母てるは続いて大正一五年一月五日女児を分娩したが、この子は事情があつて深沢アコインカンを父、かやを母として両者間の六女すなわち深沢みよ子として虚偽の出生届が出された。しかし、深沢みよ子は実母てるの手許で一三歳まで養育され、その間に実母てるから、みよ子には姉があつたが、この姉は最初の誕生日も迎えないうちにひどい風邪で死亡したと聞かされている。そして、深沢みよ子はその実姉に当る事件本人と共に暮らしたことは全くない。
(三) また、板屋幸之助とてるとの間には昭和四年六月一五日長男音造が出生したが、音造は事件本人について直接の記憶はないけれども、姉深沢みよ子から、自分達の姉に当る人が生れたのだが、この姉は幼くして死亡したとのことを伝え聞いている。
(四) 事件本人の近所(○○町大字○○村○○番地)に住んでいた大松清蔵(明治四四年一二月二〇日生)は、事件本人が生れて間もない大正一二年一二月それも正月も間近に迫つた時期に事件本人が死亡したこと、その葬儀に自分も加わり、事件本人は埋葬された事実を記憶している。
(五) 当時、事件本人が住んでいた部落には寺がなく、僧侶も居なかつたので、事件本人は民族的慣習に則つた儀式により埋葬された。
この事実および事件本人の墓もその後改葬して一箇所に集めるまで存在した事実は同じ部落に居住する不動田やえも記憶するところである。
(六) 申立人自身も姪に当る事件本人の葬式に参加したことを記憶しており、その時、申立人は小学生であつたが、長兄に当る板屋幸之助の許に母と共に暮していた。なお、申立人の記憶によつても事件本人の葬式は大正一二年すなわち事件本人が生れたその年のうちであり、霜柱が立つていた。
(七) 事件本人が○○村小学校に在籍した形跡はなく、○○町内になんらの資産もない。
2 以上の事実を総合すれば、事件本人は出生して間もない大正一二年一二月に最後の住所地である沙流郡○○町で死亡したものと認められる。
このように事件本人の死亡が分明である以上、事件本人は民法三〇条にいう失踪者に該当しないことは明らかである。(このことは民法三二条一項が失踪期間満了の時と異なつた時に失踪者が死亡したことの証明があつたときは、失踪宣告を取消すべきものと規定しているところからも窺われる)。
なお、以上に認定した事実については、それぞれ関係者から事実の証明書を得られるものと思われるが、これらによつて死亡の年月が明らかにされる以上は、その日時が詳らかでないとしても、戸籍法八六条三項に則つて事件本人の戸籍上の処置をすることはなんら妨げないものと考えられる。
いずれにせよ事件本人について失踪宣告を求める本件申立は理由がないことに帰するから、これを却下することとし、主文のとおり審判する。 (山本和敏)